去る6月13日に成立した年金制度改正法、とりわけ遺族厚生年金の見直しについては、一部で「改悪」ではないかとの声も聞かれます。しかし、専門家である社会保険労務士は、法改正の趣旨と内容を正確に理解し、顧問先や相談者に対して的確な情報提供を行う必要があります。今回の改正の根幹にあるのは、女性の就業率向上や共働き世帯の増加といった社会経済状況の大きな変化を踏まえ、現行制度に残る「男女差の解消」を目指すという明確な目的です。これは、特定の性別を前提とした旧来の制度から、個々の状況に応じた生活再建を支援する、より現代的で公平な制度への転換を意味します。
本稿では、まず多くの方が懸念されている「今回の改正で影響を受けない方」の範囲を明確にすることから始め、制度変更の核心、具体的な影響、そして新たに設けられるセーフティネット措置まで、改正の全体像を体系的に解き明かしていきます。
今回の見直しの最も重要な点は、遺族厚生年金の支給要件における男女差を解消し、共通のルールへと移行することです。現行制度の男女差は、夫が主たる生計維持者であり、妻はそれに依存するというかつての社会モデルを背景に成立しました。しかし、共働きが一般化した現代において、この前提はもはや実態にそぐわなくなっています。今回の改正は、こうした時代の変化に対応し、性別にかかわらず配偶者の死という危機に直面した個人を支えるという、制度本来の目的を再定義するものです。
具体的に、子のいない配偶者に対する支給要件は以下のように変更されます。
| 制度区分 | 支給要件 |
|---|---|
| 現行制度:女性 | 30歳未満で死別:5年の有期給付
30歳以上で死別:無期給付 |
| 現行制度:男性 | 55歳未満で死別:給付なし
55歳以上で死別:60歳から無期給付 |
| 見直し後の制度(男女共通) | 60歳未満で死別:原則として5年間の有期給付
60歳以上で死別:現行と同じ無期給付 |
今回の変更は、配偶者との死別という生活の激変に際し、性別を問わず、誰もが一定期間、経済的な支援を受けながら生活を再建するための準備期間を得られるようにするという、新たな理念への転換点と捉えることができます。
では、この新しいルールは一体誰に、いつから適用されるのでしょうか。具体的な影響範囲を理解するためには、まず「誰が影響を受けないのか」を正確に把握することが極めて重要です。
顧問先や相談者から最も多く寄せられる質問は、「自分の年金はどうなるのか?」という不安の声でしょう。現行制度を前提にライフプランを設計されている方々にとって、この点は最大の関心事です。したがって、社会保険労務士が最初に果たすべき重要な責務は、今回の見直しの適用対象外となる方の範囲を正確に伝え、不必要な不安を解消することです。
以下の4つのいずれかに該当する方は、今回の見直しによる影響を受けません。
以上の点を明確にすることで、大半の方の不安は解消できるはずです。その上で、次に「では、具体的に誰が、どのように影響を受けるのか」という核心部分の解説に移ることが、的確なアドバイスへの第一歩となります。
今回の改正は、対象となる男女でその意味合いが大きく異なります。女性にとっては主に「無期給付から有期給付への対象年齢の引き上げ」であり、影響を受ける範囲は限定的です。一方で、男性にとっては「新たな給付機会の創出」という、大幅な拡充となる点が特徴です。
新たに見直しの対象となるのは、以下の条件をすべて満たす方です。
これまで30歳以上であれば無期給付の対象であったため、特に30代で配偶者と死別した女性が、新たに5年間の有期給付の対象となる点が主な変更点です。厚生労働省の推計によれば、この変更によって新たに対象となる30代の女性は、年間約250人と見込まれています。
重要な点として、この変更は急に進められるわけではありません。「現に存在する男女の就労環境の違いを考慮するとともに、現行制度を前提に生活設計している者に配慮する観点から」、2028年4月から25年という長期間をかけて段階的に実施される経過措置が設けられています。
男性にとって、今回の改正は制度の大きな拡充と言えます。
| 区分 | 内容 |
|---|---|
| 現行制度 | 55歳未満で妻と死別した場合、子の有無にかかわらず遺族厚生年金は支給されませんでした。 |
| 新制度 | 新たに60歳未満の方が、5年間の有期給付を受けられるようになります。 |
これにより、これまで制度の谷間に置かれていた多くの男性が、遺族厚生年金の対象となります。その推計対象者数は年間約1万6千人にのぼり、妻の死という予期せぬ事態に直面した男性の生活再建を支える上で、非常に大きな意味を持つ改正です。
このように、給付期間が有期化される側面がある一方で、その期間中の給付を手厚くし、その後の生活を支えるための重要な措置が合わせて講じられています。次にその詳細を見ていきましょう。
今回の改正は、単に給付期間を有期化するだけではありません。むしろ、生活再建が必要な期間に支援を集中させ、本当に支援が必要な人には長期的なセーフティネットを提供するという、実質的な経済支援の強化という側面があります。
5年間の有期給付期間中は、「有期給付加算」が新たに創設されます。これにより、支給される年金額は現在の遺族厚生年金の額の約1.3倍に増額されます。これは、配偶者を失った直後の最も困難な時期における経済的基盤を強力に下支えするための措置です。
有期給付が終了した後も、生活に困窮する状況が続く方への配慮がなされています。以下のいずれかに該当する方は、増額された遺族厚生年金(有期給付加算を含む)を引き続き受給できます。
現行制度において夫と死別した40歳以上の妻等に加算される給付である「中高齢寡婦加算」は、男女差解消の観点から、見直しの施行日(令和10年4月1日)から25年という長い時間をかけて段階的に縮小・廃止されます。これは単なる給付削減ではなく、現行制度に残る最も象徴的な男女差の一つを解消し、制度全体を公平なものに再設計するための不可欠な措置です。なお、重要な点として、一度受け取り始めた加算額は、その後減額されることなく65歳まで変わりません。
これらの措置は、改正が単なる給付削減を目的としたものではなく、短期集中的な手厚い支援と、真に支援を必要とする方への長期的な配慮を組み合わせた制度設計となっていることを示しています。
子育て世帯への手厚い配慮は、公的年金制度の根幹をなす理念です。今回の改正は、その理念を揺るがすのではなく、さらに強化する内容となっています。
まず、遺族厚生年金の取り扱いについて、改めて重要な点を強調します。
さらに、今回の改正では遺族基礎年金において、子育て世帯への直接的な給付増となる重要な拡充策が盛り込まれています。
| 区分 | 加算額 |
|---|---|
| 現行 | 年額234,800円(第1子・第2子)、第3子以降は年額78,300円 |
| 改正後 | 年額281,700円(第1子から) |
本稿で解説してきた通り、今回の遺族厚生年金の見直しは、世間で囁かれる「改悪」という一面的なイメージとは大きく異なります。その実態は、社会構造の変化に対応して男女差の解消を目指しつつ、男性という新たな給付対象者を創出し、有期給付期間中の給付額増額や継続給付といった手厚いセーフティネットを伴う、複雑かつ多面的な制度再編です。
社会保険労務士は、顧客への説明責任を果たす上で、以下の3点を留意する必要があります。
この法改正は、一般の方々が誤解しやすい複雑な内容を含んでおり、社会保険労務士の専門性が問われる局面です。これを正確に理解し、社会の変動に対応した専門家として的確な助言を行うことは、社会保険労務士に対する社会からの信頼を一層高めることに繋がると思われます。